家族との上手な付き合い方

人間関係
スポンサーリンク
スポンサーリンク

私と家族の接し方

その家々によって家族構成も、個々の性格も違い接し方が違うと思います。
私は、家族とは以下のような接し方をしてきましたが、
それぞれの家族に、それぞれの付き合い方があります。

あなたの家族との付き合い方、接し方はどんな感じですか?
家族だからといって、どんな振る舞いをしてもいいとは思いませんが、
変な遠慮のない、過度のストレスを感じない、思いやりのある付き合い方をしたいものです。

父親とは こんな付き合い方をしました

父は、農家の母子家庭で育ったこともあり、
自分の母親のことを、ことのほか大切にしていました。
そのため幼少時、私がおばあちゃん子だったことがうれしかったんだと思います。

子供の頃の父親との思い出で強く記憶に残っているのは、
猟が趣味だった父についてキジ撃ちに山に行ったことと、
小学校の夏休みに家族4人で鳥取の海でキャンプをしたことです。

中学生からは会話もなくなりましたが、高校生の時、
学校と父の職場が同じ方向だったので車で送迎をしてもらうこともあり、
助かったことがあります。

高校生当時、原付免許を取り、欲しかった原付バイクを買ってもらった覚えもあり、
今思うと、優しい父親だったと感謝しています。

学生時代は付き合い方を意識したこともなく、父に叱られた記憶もありません。

父親との付き合い方を意識するようになったのは、
学生生活が終わり、就職して、東京住まいをやめて、
故郷で同居生活をするようになってからです。

同居というのは、お互いの生活が全部見えます。さらけ出すことになります。
気を使っているうちはいいのですが、互いが自分を通そうとした時、
意見が違えば当然ぶつかり、行き過ぎると口論になります。

これは父親に限ったことではなく、誰との関係でもいえることです。

私の父はお酒が大好きで、飲むと人前では陽気になり、よくしゃべるようになるので、
酒の付き合いをすると上機嫌な父でした。
男同士なので、ここはさっぱりとした関係が築けました。

とにかく、話しを聞いてあげる、愚痴を聞いてあげる、
言いたいことを聞いてあげるというのが一番でした。
自分の考えなど言わず、父の話にただひたすらうなずくのがベストです。

私の場合、父親との付き合い方は、成人して就職して、子供を持って初めて意識しました。
今は亡くなってしまった父ですが、欲を言えば、
生きてるうちに、もう少し交流が持てれば良かったと、後悔しています。

母親とは こんな付き合い方をしました

母は、若くして母親を亡くし、養父に育てられ、
父親違いの妹・弟の母親代わりの独身時代を過ごし、
大変な苦労をしましたが、絵に描いたようにまじめな女性です。

戦争疎開で田舎にきて、知り合った父と結婚。
公務員であった父ですが、兼業だった農業をすることになりました。

都会育ちの母にとっては、苦痛だったと聞いています。
よく言えば、我慢強い、頑張り屋。
悪く言えば、頑固、執念深い。

父が、母と母親との間で、どっちつかずな言動や態度でいたことが、
母は不満だったと聞いたことがあります。
もっと自分を優先して大切にしてほしかったんだと思います。

私がおばあちゃん子であったことも嫌だったのかもしれません。

母との付き合いは、父との付き合いと違い、幼少時から意識しました。
気丈な女性、怒ると怖い、話をしなくなる、間違ったことは徹底して説教される。
性格がキツイ女性でしたが、そうさせたのは、父であり、生活環境だったと思います。

子育ては母にまかせっきりという印象があり、相談というのは当時から何事も母にしていました。これは父の家族に対しては、なぜか口下手だったという性格に原因があったと思います。

私は、母とは昔から口喧嘩をよくしました。
意見が一致したときは、事がとてもスムーズに進むのですが、
ちょっとしたことで、意見のくい違いがあると、
何日かは口をきかないし、態度や行動が、乱雑になった母でした。

子供の頃は、この会話のない状況が、とても不安で嫌で、
まるで、いじめにあっているように感じたものです。

大人になってからは、母の性格であり、弱い部分だし、
甘えなのかもしれないと少しは理解できるようになったものですが、
売り言葉に買い言葉というように、わかっていても、意地を張って反発してしまう私でした。

今思うと、母と私は、ある部分では同じような性格だったんだと、つくづく思います。

母は単純で、まっすぐで、ダメなものは絶対ダメで、喜怒哀楽の激しい人でした。
少しのことで、落ち込み、この世の終わりかのようなメールが届いたものです。
そうかと思えば、嬉しいこと、良いことがあると、
天にでも昇ったかの如く、テンションがハイになったものです。

こんな母との付き合いで大切なことは、大きな心で包んであげること、
愚痴を聞いて、同調してあげること、甘えさせてあげることだったと、
別居生活をして気が付きました。

スープの冷めない距離と言いますが、同居より別居して、
出来れば近くで見守るというのが一番いいのではないでしょうか。
私の場合、今は遠方になってしまいましたが。

何度か大きな病気をして、今は高齢の母ですが、
今やっと、時々の電話で優しく会話すること、愚痴を聞いてあげること、
こちらは愚痴を言わないこと、大丈夫だと言ってあげること、感謝することに徹しています。

そして母の日と、誕生日にだけですが、
何か心ばかりでも贈り物をするということを今は実行しています。

兄妹とは こんな付き合い方をしました

私には歳がそれほど離れていない妹がいるだけで、ほかの兄弟はいません。

幼少期は、「おにいちゃん、おにいちゃん」と言って慕ってもらってたと、私は思っています。
そして私が高校の卒業までは同居して暮らしていました。

その後は妹との同居はなく、会うとすれば、両親のところに家族で集まった時くらいでした。

人当たりがよく、なんでもテキパキとこなし、
多少無理をしてでも人に親切にするという印象がある妹です。

ただ、「お兄ちゃんに言われた嫌なことはいつまでたっても忘れない」と言われた時には、
女子というのはそういうものかと、執念深さを垣間見た気がしました。

私が高校卒業後、滅多に会うことはなかったのですが、
帰郷して両親と同居するようになってからは、付き合いをするようになりました。

兄妹としては、仲は良かったと思いますが、
両親のことやお互いの家族が絡んでくると、意見の違いが生まれたものです。

この妹が居て助かったと思ったことは、苦手だった母との付き合いが、うまかったこと、
私が離婚した時に、私の娘の面倒をよく見てくれたことです。
このことは今でも感謝しています。

兄弟の付き合いというのは、
「兄弟は他人の始まり」ということわざあるように、
それぞれが成長し独立していくと、だんだんと会う機会も少なくなり、疎遠になっていきます。

親が健在な場合はたまには集まることがありますが、
亡くなると、集まる場所も亡くなり疎遠は加速されるものです。

夫婦の付き合い方

結婚に失敗した奴が言うなって指摘されるかもしれませんが、
結婚に失敗した私だからこそ、
夫婦の付き合い方は、こうすればよかったということがわかります。

と言いましても、あくまでもわたくし目線ですが。
私は30歳の時、10歳年下の女性と結婚しました。
今では珍しくもありませんが、当時10歳差は大きく、
それがいけなかったのか、私のほうが完全に主導権を握り、
お金の管理も私。
妻のやることなすこと子供扱いしてきたような気がします。
当時の私は、それが精一杯の愛情であり、
余計な心配をかけまいと余裕あるフリをしていたのかもしれません。

今思えば、当時、私はやっていた仕事に自信があったし、
子供もいなかったことから、10年近くは、ワンマンな振る舞いをし過ぎたのだと反省しています。
妻の意見に、耳もかさない、転職するときも相談せず、最低な奴だったと反省しています。

お金には不自由をかけたわけではなく、浮気とかの女性問題も誓ってありませんでした。
離婚当時は3歳の娘がいて、親権は私が持ちました。

妻に聞いたわけではありませんけど、なぜこうなったのか思い当たることは、
私が気が付かない、自分勝手な私の性格に嫌気がさしたのかもしれません。
聞けばいろいろ出てくるのでしょうが、世間でいう性格の不一致なのでしょう。

結婚相手には、自分とは違った考え方をする人がうまくいくと当時は思っていましたが、
好みは違っても、生活をしていく上での考え方は絶対同じでないとうまくいきません。
結婚生活を営むためには、価値観の違いは不幸をもたらすだけです。

結婚生活は恋愛時代とは違い、親子や兄弟姉妹以上に自分をさらけ出すことになります。
仮に同棲をしてある程度分かったつもりだったお互いが、
改めて婚姻届けを提出し、結婚生活を始めると、
こんなはずではなかった!同棲時代にはこんなではなかった!
と思うようなことが、必ず出てきます。

結婚に臆病になってはいけませんが、
恋愛時代も、同棲時代も、仮にお見合いだったとしても、
相手の本質を見抜くことが、結婚生活を円満に過ごすことになります。

子供との付き合い方

前述のとおり、私が離婚した時に3歳の娘の親権を得ました。

私はそれを機に両親と同居することになり、
当時、自営業を営んでいた私が、3歳の娘を抱えての仕事は思うように行かなくて、
金銭的にも精神的にも支えてもらった、両親や妹には感謝しかありません。

娘は小学校までは、明るく、すくすくと育ちましたが、
中学校に行きはじめて間もなく、不登校になってしまいました。

この不登校については別のところで記述させていただいていますが、
思ってもみないことが起こるのが人生だと、改めて感じたものでした。

ここでは今現在の娘との付き合いを記述させていただきます。
いろいろとあった娘の人生ですが、四半世紀をなんとか過ごすことができています。

娘は一人暮らしがしたいと、同居はしていません。
高校を卒業してからは、
金銭面では親に頼ることなく自分で生計を立てている娘は、立派だと思うとともに、
ここまでよく育ってくれたと感謝しています。

親子でそんなに遠くない別々なところに住んで、週に1回くらい一緒に食事をしたり、
雑用をしに娘のところに行ったり、良い親子関係だと思います。

娘は不登校時期にパソコンを習得して、ある程度のレベルに達しているのでしょう。
派遣社員をやったり、スーパーや清掃業で働いた貯えで、車の免許を取り、
さらにパソコン業務を進化させ、コロナ過は外で働くことなく乗り切っています。
今後、父親として不安がないとは言えませんが、よく頑張ったと褒めてやりたいものです。

そんな娘との付き合いで大切なことは、娘を一人の人間として信頼するということです。
父親として娘のやっていることを見守るだけでしたが、
私を反面教師として歩んでくれたことは、
娘の成長に拍車をかけたのだと思います。

経済的に頼ってこない娘に対して、それ以外のやってほしいと言ってきたことには、
多少無理をしてでも応じてきたつもりです。

やってやれなかっただけで、親としては偉そうに言えることではありませんが、
子供に対して過保護すぎないことは大切なことです。
特に経済面で援助しすぎると、間違った依頼心の強い子供が形成されてしまいます。

子供に、多少のことは自分で解決できる能力を身に着けてもらいたいと思うのでしたら、
いい意味でほったらかしという育て方をお勧めします。
自主性を大切にして、じっと見守りながら、何でもやらせてみるということです。

なぜなら、例えば以下のようなことが、大人になっても、
人の手を借りないとできない人が多いからです。

  • 区役所などの公的なことへの対処する知識
  • 銀行関係の手続き方法
  • アパートやマンションを借りる場合の、ある程度の手続き方法
  • 電車やバスの乗り方、乗り換え方法
  • 映画やイベントのチケットの入手方法
  • 洗濯、簡単な料理、掃除、整理整頓(男女関係ありません)


子供の頃から、親が何でもかんでも手取り足取りな対応をとっていると、自分で考えない子供に育ってしまいます。

特に小学生の頃、親が対処できる範囲内の失敗には目をつぶり、自分で考える力を身につけさせてあげることです。

そのうえで、相談に乗ったり、アドバイスをしてあげてください。

スマホやパソコンが普及している今は、
気を付けなければならないこともありますが、
調べようと思えばネットで何でも調べられます。
親が即答するより、自分で調べたことは身につくはずです。

私は、離婚を経験し、娘が中学生の初めまでは、
こうするべきだとか、こうやって当然というような言い方で、
娘に言い聞かせてきましたが、それが間違いだったと、娘の不登校が気づかせてくれました。

さぞ口うるさい親父だと思われてたことか・・・・

娘には、よりたくさんのことを自分自身でできるようになってほしいと思っています。
できると信じて、今、娘とは付き合っています。

タイトルとURLをコピーしました