人生で関わることのある一般社会の人
ここでいう一般社会の人とは、一般世間、一般大衆の人という意味で、
家族、学校、職場以外の他人ということです。
全く知らない他人、普段は会話のない人、顔見知りでもない人たちとの人間関係について
あくまで私の主観を書き記したものです。
関わり方や、相手の態度によってどのような接し方が望ましいのかを書き出してみました。
一戸建てや持ち家のマンションと違い、賃貸で入居するアパートやマンションは、
長期間の在住者でない限り、会えば挨拶くらいはしても、
会話を交わすということは少ないと思います。
住人の家族構成に同年代の小さな子供がいたり、
生活環境が同じような場合はその限りではありませんが、
現代人の大半が、隣人との関わりどころか、
どんな人が隣に住んでいるのかもわからないのが現状ではないでしょうか。

もちろん今でも、地方の田舎町などでは近所づきあいどころか、村や町ぐるみで助け合っているところもあると思います。
人を疑ってばかりではいけないのですが、住人が 常識のある人だとは言い切れませんし、人によっては、むしろ相手住人のほうが付き合いを望まないということもあります。
無理をして付き合う必要もありませんし、いい悪いは別として、他人と関わらないということは、むしろトラブルを避けられるという利点でもあります。
徹底した社員教育がなされている店舗従業員でさえ、
お客と接する現場では、教育通りにはいきませ、
たとえマニュアル通りに接客したとしても、お客が満足しない場合があります。
このことは応対する従業員の性格が大きくかかわってきますし、
お客との相性もあり、人間関係の複雑さのひとつだと、私は考えます。
人と接するということだけでもストレスになると思いますが、お客となれば、なおさらです。
接客があまり上手くない従業員だとしても、それはお客側にも問題があります。
物品販売の店舗の接客というのは、来店したお客に納得してもらい、
商品を購入してもらうということが目的です。
店舗によっては、お客が自由に商品を選び、
レジで支払いをして終了という場合も多くなってきていますし、
職種や店舗によってはレジでの接客すらないというのが現状です。
商品自体に高い需要があり(誰もが欲しがる商品、人気の商品)、
どこの店舗でも同じ商品を販売していたら、よほど遠距離でない限り、
お客は接客がいい店舗に足を運ぶのではないでしょうか。
お客にゴマをするとか、お世辞を言うとかではなく、正直に、誠実に対応するということです。
接客は、自分がお客の立場だったらどうされたいかを一番に考えて行うのがベストです。
そして買う側も、買ってやってる、自分は客だという態度はとらないことです。
鉄道や飛行機とは違い、ごく少人数の利用者と接する交通機関に、バスやタクシーがあります。
バスやタクシーの運転手は自分で運転し、自分で接客します。
鉄道や飛行機では感じることはありませんが、バスやタクシーでは運転手によって運転の荒さや、接客態度に疑問を感じることがあります。
特にタクシーは狭い車内に一定時間を一緒に過ごすわけですから、
運転も接客も気持ちのいい運転手の車に乗った時はホッするのではないでしょうか。
車の運転は、人の性格が大きく影響し、車の運転をすると人格がよくわかるとも言われます。
優秀な運転手は、丁寧な言葉づかいをして、
必要以上の会話をしたくないお客と、会話を楽しみたいお客を瞬時に判断して、
スムーズな運転を心がけます。
それに対して、あまり感心しない運転手は、必要な会話もそこそこで、
発進時、停車時の運転も乱暴です。
何か不機嫌で、お客側が気を使わないといけないような人です。
ただ、この場合もお客は何を言ってもいい、何をしてもいいという考えは間違いで、
乗る側の態度も常識が求められます。
今も存在するのでしょうか?訪問セールス。
昔は〖押し売り〗と言って、正当でないというか、得体の知れない人が、
無理やりにモノを売りつけていった訪問セールスがありました。
自分の嘘の身の上話で同情させ、モノを売るという、詐欺まがいのセールスです。
現在でいうと、ねずみ講や嘘の投資話し、保険金詐欺のようなものになるのでしょうか。
人を疑わない、心優しい人が騙されて買ってしまうのでしょう。
ただ投資話しだけは少し違っていて、そんなうまい話は絶対ないと思いながら、
儲かるかもしれないという、人の欲がそうさせるのだと思います。

荷物の配送の人(物を届けてくれる人)。郵便配達の人。
この人たちに対して、すごく高圧的な態度の受け取り人を見かけたことがあります。
特に店舗経営の人が受け取る場面がそうでした。
「ご苦労様」の一言でいいと思うのですが、
お客が居るからと、わざと受け取りを待たせる。
置き場所を命令して指定する。
検品に必要以上に時間をかけるなど、見ていて意地悪としか思えないことがありました。
でもこれは、たまたま私が見た人が意地が悪かっただけだということでしょうか。
今は【置き配】など、受け取りに印鑑もサインもいらない、
面倒な人との関りが少しでもなくなって、良いシステムができたと思います。
全く顔の見えない、表情もわからない、会話だけが頼りの仕事です。
マニュアルは当然あるのでしょうが、マニュアルにないことを聞かれたときに、
どれだけ臨機応変にお客が満足する回答ができるかが、オペレーターの優秀さだと思います。
電話対応で優秀だと思ったのは、
Amazonのカスタマーセンター
ソフトバンク光のオペレーター
住信SBI銀行のカスタマーサポート
まあ、これはたまたま私の質問に完璧な回答がされたということと、その時受け答えをしてくれた人が優秀だったのかもしれません。
今は、少し大きな企業では、電話対応してもらう時は、必ずと言っていいほど、
会話を録音されるというアナウンスが流れます。
それによって、お客側も常識をもって会話するようになったと思います。
無理難題を言って、まるでクレーマーのような人は、電話を受ける側も迷惑なものです。
年間を通して、個人が何度も訪問することは少ない場所ですが、
人生の節目や新しいことを始める時、終了する時など、
どうしても利用しなければいけない機関です。
2022年の現在、マイナンバーカードという個人を識別するカードが順次発行され、
以前は必ず窓口で行っていた申請手続きも、
その一部は来所することなく行えるようにはなりました。

しかし、まだ多くは対面での手続きがほとんどで、職員との会話は必要不可欠なことです。
公的機関での会話は、我々の生活環境の中で、日常的に行われているものではなく、
どちらかというと、専門分野の会話と言えるのではないでしょうか。
公的機関で働く人を公務員と言います。
店舗の従業員とは種類の違う、特別な知識が必要な職種です。
公的機関に行く目的は、商品を買うのではなく、法律に基づいた、手続きをするのが目的です。
ただ、対応するのは人であり機械でもAIでもありません。
同じ説明をされても、なるほど、と思う時と、
妙に上から目線で言われたと感じる時があるのは、私だけではないと思います。
対応する人によってこんなにも違うものかと思ってしまいます。
例えばアパート・マンションを借りる時、買う時、
今はネットで詳細な情報がみられるようになりましたが、
契約に限っては不動産会社の店頭で行われます。
借主や購入者と大家さん。その仲介役が不動産会社ということです。
ネットで気に入った物件を見つけて、内見をして契約というのが現代の流れです。
私は学生時代から現在までに10数回引っ越しを経験しました。
私の50年近い前の学生時代は、東京で四畳半一間のアパートを探したものです。
正確に覚えていませんが、その当時は当然ネットなどありません。
一軒一軒 不動産屋さんを回り、その場で気に入った物件があれば内見させてもらう。
というのが常識とされていました。
学生ということ、年下ということで、
常に不動産屋さん主体で借主のほうが低姿勢で臨むというのが当たり前でした。
そうじゃない不動産屋さんもいましたが、接客態度はかなり高圧的だった記憶があります。
貸してやるんだという態度をとられ、契約をせかされたこともありました。
契約に現在ほど詳細な明細はなく、
敷金・礼金・権利金?・仲介手数料・前家賃だけだったような気がします。
私が経験した最悪の不動産会社の社員に、
ガムを噛み噛み説明した初老の男性が居ましたが、論外の人でした。
不動産は人生を左右するような大きな買い物です。
関わる担当社員の性格によって高圧的に感じたり、
不利な契約をせまられるということは今でもあります。
借主側や購入側で気の弱い人は、一人での契約は控えたほうがよさそうです。
不動産会社の社員は、借主や購入者の希望を叶えれば感謝され、
それが自分自身の喜びにもなります。
どんな人でも、人に感謝されて嫌な気はしないでしょう。
悪徳不動産などといった時代は終わったと信じたいものです。
免許や国家資格が必要で、高度な知識や技術の必要な職種の人です。
健康で、特殊な場合以外では関わることが少ない人たちですが、事が起きた時には、
全てではありませんが、患者や依頼主の問題を解決してくれる必要不可欠な人たちです。
特に医師は患者にとっては文字通り、命がけの人です。
医師の立場というのは、臨床など経験に基づき、最大限に患者と向き合い、
患者は不安だらけの状況を抱きながらも、医師を信じるということだと思います。
信じられないような医師なら別の医師を探すべきです。
弁護士や〇〇書士という人は代理人という立場が当てはまると思います。
法的な手続きを代わって行ってくれる人です。
誠実で、臨機応変な人だと安心です。もちろん依頼側も同じことが言えます。
政治家になるには、年齢制限があるくらいで、日本国籍があり、
犯罪者でなければ政治家に立候補する資格はあります。
学歴も関係ありません。
ただ立候補にも大きな資金が必要ですし、
知名度や経験・カリスマ性やコミュニケーション能力も必要で、
誰もが簡単になれる職種ではありません。
政治家というと、選挙の時だけ必死で政策をアピールしたり、
対応がいい選挙事務所がありますが、選挙が終わり当選すると、
まるで別人かのような人もいます。
我々有権者が選び、国民の代表として仕事をするのが政治家です。
多くの政治家は、地域や国を、少しでも良くしようと日々奔走していますが、
国民の要求や希望は政治家の派閥、世間の状況などにより簡単に達成されることはありません。
国民の考え方も様々で、多くの人を納得させるというのは、本当に難しいものだと思います。
まさに【あちら立てればこちらが立たぬ】 というのが政治の世界であり世間というものです。
間違っても私利私欲のための関係であってはいけません。
「お巡りさん」 と言うほうが親近感があります。
管内をパトロールしたり、
交通案内、防犯、救助、犯罪捜査などお世話になった人も少なくないのではないでしょうか。
国民の日々の安全を守る、治安維持が仕事の人です。
テレビや映画で描かれた、あんなにかっこいいものじゃないという人もいましたが、
白バイ乗りにあこがれて、警察官になった友人もいました。
また制服を着た警察官を見ると、何も悪いことをしていないのに、
なぜか少し緊張させられる人もいるのではないでしょうか。
危険にも遭遇することがあり、身体的にも精神的にもある程度のレベルが求められる仕事です。
警察官とのかかわりは、善と悪であってはいけません。
犯罪や事故の多い世の中で、助けてもらうだけではなく、協力できる関係でありたいものです。
関わってストレスやプレッシャーを感じるような相手とは、
出来る限り関わりたくはありませんが、
苦手な人に関わることによって、学ぶところがあるかもしれません。
今はSNSなどで顔が見えない関りということも数多くあり、
本当の自分をさらけ出さなくても人とは関わることができ、
気の合う人とだけの関りが自由にできる社会です。
しかし、人と関わる時は、身近な人、滅多に関わることのない人の区別なく、
相手の立場や状況を考えて自分勝手にならないことがお互いに大切です。