母は、若くして母親を亡くし、養父に育てられ、
父親違いの妹・弟の母親代わりの独身時代を過ごし、
大変な苦労をしましたが、絵に描いたようにまじめな女性です。
戦争疎開で田舎にきて、知り合った父と結婚。
公務員であった父ですが、兼業だった農業をすることになりました。
都会育ちの母にとっては、苦痛だったと聞いています。
よく言えば、我慢強い、頑張り屋。
悪く言えば、頑固、執念深い。
父が、母と母親との間で、どっちつかずな言動や態度でいたことが、
母は不満だったと聞いたことがあります。
もっと自分を優先して大切にしてほしかったんだと思います。
私がおばあちゃん子であったことも嫌だったのかもしれません。
母との付き合いは、父との付き合いと違い、幼少時から意識しました。
気丈な女性、怒ると怖い、話をしなくなる、間違ったことは徹底して説教される。
性格がキツイ女性でしたが、そうさせたのは、父であり、生活環境だったと思います。
子育ては母にまかせっきりという印象があり、相談というのは当時から何事も母にしていました。これは父の家族に対しては、なぜか口下手だったという性格に原因があったと思います。
私は、母とは昔から口喧嘩をよくしました。
意見が一致したときは、事がとてもスムーズに進むのですが、
ちょっとしたことで、意見のくい違いがあると、
何日かは口をきかないし、態度や行動が、乱雑になった母でした。
子供の頃は、この会話のない状況が、とても不安で嫌で、
まるで、いじめにあっているように感じたものです。
大人になってからは、母の性格であり、弱い部分だし、
甘えなのかもしれないと少しは理解できるようになったものですが、
売り言葉に買い言葉というように、わかっていても、意地を張って反発してしまう私でした。
今思うと、母と私は、ある部分では同じような性格だったんだと、つくづく思います。
母は単純で、まっすぐで、ダメなものは絶対ダメで、喜怒哀楽の激しい人でした。
少しのことで、落ち込み、この世の終わりかのようなメールが届いたものです。
そうかと思えば、嬉しいこと、良いことがあると、
天にでも昇ったかの如く、テンションがハイになったものです。
こんな母との付き合いで大切なことは、大きな心で包んであげること、
愚痴を聞いて、同調してあげること、甘えさせてあげることだったと、
別居生活をして気が付きました。
スープの冷めない距離と言いますが、同居より別居して、
出来れば近くで見守るというのが一番いいのではないでしょうか。
私の場合、今は遠方になってしまいましたが。
何度か大きな病気をして、今は高齢の母ですが、
今やっと、時々の電話で優しく会話すること、愚痴を聞いてあげること、
こちらは愚痴を言わないこと、大丈夫だと言ってあげること、感謝することに徹しています。
そして母の日と、誕生日にだけですが、
何か心ばかりでも贈り物をするということを今は実行しています。